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昭和34年5月6日、山口県光市にて、磯部家の次女として誕生。用意されていた名前は男の子の「としお」。急遽「としえ」になったそうです。 古き良き時代の大家族でたくましく育ちました。
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松原保育園時代は、なんでもやらないと気が済まないおてんば園児でした。
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室積小学校に通いました。風邪ひとつひかない健康優良児で、家が室積海水浴場の近くですから、夏はランドセルを置いてすぐに泳ぎに行っていました。高学年では合奏団に入り、中国地区の最優秀校に入賞しました。
- 室積中学校ではバレーボール部、室積中学校は市内でもバレーボール強豪校。また選抜で陸上にも出ました。
- 県立光高校進学。深夜放送にはまり、将来は人の心を揺さぶるラジオの世界に飛び込みたいと思いました。
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大阪芸術大学芸術学部放送学科に進学。放送研究会に入り、ラジオ番組の助手や、ウグイス嬢のアルバイト、CMのオーディションを受けたり、生番組の面白さに惹かれ、充実した4年間を過ごしました。
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大学卒業後、結婚したものの、3年で離婚。幼い娘を連れて故郷に帰ってきました。父の仕事をサポートしながら、がむしゃらに勉強しました。簿記3級・2級、宅地建物取引士、診療報酬、健康保険など。
可愛い一人娘に癒され、両親や地域の方、友達に支えられた10年でした。 - 同級生からの依頼で、ふるさと郷土館のオープニングの司会を引き受けたのをきっかけに、司会のオファーが増え、地域のお祭りの司会から国政報告会までいろんな場の司会をやりました。
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そして39才の時に、市議会議員補欠選挙のオファーを受けました。なぜ私?と思い、初めはお断りしていたものの、お受けすることに決めました。
なぜ政治の道に? 最後私を決断させたのは、「私のようなものでも川の流れが変わる小石になれるかも・・・・そんな足あとを残せたら」という想いでした。 - 初選挙~市議会議員としての22年
二週間の選挙期間、夜に仕事をしながら、睡眠不足のまま走り抜け、8881票をいただき初当選しました。
初選挙~初議会は、連日連夜勉強の日々でした。悔しい言葉をかけられたこともありました。「みんなで創ろう、私たちのまち、まちづくりは人づくり」との思いで頑張りました。
しかし、3年後の統一選挙前に、高熱が続き入院、手術することに。退院してそのまま選挙戦に入り、勝ちました。素晴らしい医師との出会いで一命をとりとめた、この経験から「病気は誰も代わってくれない。今日できないことは明日に回そう」と思うようになりました。
39歳の当選から22年、この間に娘が結婚し、肩の大きな荷物が下りたと思いました。
今は幸せな家庭を築いてくれていることに感謝しています。
こうして真四角だった私の性格が、さまざまな経験を経て角が取れ、少しは丸くなったように思います。 -
2020年、私の政治活動の集大成として、市長選に挑戦しました。
大きな手ごたえを感じましたが、結果は敗北。本当に悔しかったです。 -
2022年2月、山口県議会議員補選に挑戦。当選させていただきました。新たなステージに挑むためには、私にできることは何でもやる!という意気込みで、市民の代弁者となることをお約束いたしました。
「今日の幸せが当たり前ではない。便利になった時代だからこそ、身近な日常生活に視点を置いた取り組みが一番重要。」と考えています。